2020年06月03日

2020年6月のメッセージ「雨はあした晴れるだろう」

音声で聞く。
以前出張で北海道の札幌に行きましたが、少し足を伸ばして旭川に行ってみました。そこにクリスチャン作家三浦綾子さんの記念館があったからです。

静かな森の中に雰囲気のある二階建ての建物に、三浦さんの本が陳列棚にぎっしり詰まっていました。また彼女の講演録画が常にテレビで見れるのです。

平日でしたが多くの方が来られていて、その影響の大きさを知ることができました。それは三浦さんが77年の生涯の中でほとんどが重い闘病生活の連続であったにもかかわらず、神様から与えられた力強い希望の世界が人生を貫いていて、多くの人に慰めと感動を与えるからでしょう。色紙に書かれた三浦さん直筆の言葉や短歌を見ながらある言葉に目が止まりました。


「雨はあした晴れるだろう」


天候もそうですが、人生を言い表していて実に味わい深いと思いました。

雨の最中は、いつこの雨が止むことかと憂鬱な気分になりますが、この雨もあしたには止むわけです。いま世界はコロナ感染で不安の中にありますが、その「雨、嵐」も「あした」には晴れるだろう、そう語っているようで、励ましを感じます。あなたにも人生の雨、嵐がやってくる、イヤひょっとして今がそうなのかもしれません。気分も憂鬱になり虚しさが漂うこともあるでしょう。でも、「あしたには晴れるのです」

聖書にこうあります。 


「夕暮れには涙が宿っても

朝明けには喜びの叫びがある」

(詩篇30:5)


あなたはどこを見ておられますか。人ですか?問題ですか?自分の内側ですか? その見方を止めて上を見上げませんか?そうです。あなたを造り、あなたを愛し、あなたの人生を祝福で覆われる神を見上げるのです。きっと喜びの人生があなたを覆うでしょう。

どうぞ聖書のメッセージをお知り下さい。また教会にお出かけ下さい。心から御案内いたします。                牧師 中 西 正 夫

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2020年05月02日

2020年5月 今月のメッセージ 「心の健康を保つために」後藤献四郎伝道師

心の健康を保つために
コロナウイルスの影響で、自粛の日々が続いています。学校や職場にも行けず、家で過ごさねばならず、人に会うこともできなくなって、ストレスがたまり、気分が沈んでいるという方も多いのではないでしょうか?


私は、心の健康を保つために、幾つかの有効な方法があることを知りました。まずは、不安を煽る情報ばかり見るのをやめ、ニュースに触れる時間を減らすことです。2つ目に、話し相手を持つこと。人と会話することによって、ストレスは大いに軽減できます。3つ目に、視点を変える(物事に対する見方を変える)ことです。どんな風にすればいいのでしょうか?


『ポリアンナ物語』を知っていますか?主人公のポリアンナは、幼くして母を亡くしましたが、元気いっぱいの女の子です。彼女は「お人形がほしい」と思っていましたが、ある時、彼女に届いたプレゼントはなんと松葉杖でした。がっかりした時、父のジョンは彼女にこう言いました。「がっかりすることはない。どんな時でも、喜べることを探してごらん。お前には、松葉杖がなくても歩ける足があるだろう?そのことを感謝しないといけないよ。」父はポリアンナに、どんな時でも喜びを見つけるというゲーム「良かった探し」を教えました。後に父は死に、彼女は親戚に引き取られるのですが、そこでも彼女は「良かった探し」を続け、冷たく扱われても、事故に見舞われても、このゲームを通して、周囲の人々を励ましていくのです。


コロナウイルスが拡大する前、私たちは学校に行き、人に会い、職場に出かけ、旅行することを「当たり前」だと思っていました。しかし、このような状況になり、普段していた普通の生活がいかに有難く、感謝なことであるかということを思い知ったのです。そもそも、私たちは「生きている」のではなく、「生かされている」のです。その事に気が付くと、小さなことにも喜べるようになり、ストレスも軽減し、感謝できるゆとりも生まれてくるのです。


聖書に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい」という言葉があります(Tテサロニケ5:16-18)。どんな状況に置かれても、感謝すべき良いものは必ずあるものです。精神科の専門家によると、感謝する人は、そうでない人に比べ、元気をなくしても回復するのが早いそうです。心の中にゆとりがあるからです。


「良かった探し」をしてみませんか。私たちを生かしておられる神に感謝しましょう。


伝道師 後藤献四郎



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2020年04月04日

2020年4月のメッセージ 「希望のイースター」


人間にとって最大の恐れと悲しみは「死」でしょう。ある人の場合は突然やってくるのです。私の場合がそれでした。

高校三年生の夏休み。私は友人のガールフレンドとの別れ話につきあうことになり、彼は結局辛い気持ちで別れたのですが、帰りに私をバイクで家まで送ってくれることになりました。夕方の県道が薄暗くなり、おまけに雨までが降り出して、交差点まで来たのですが、その交差点の中央に右折するために止まっていた車が、バイクを運転していた私の友人にはショックのためか、見えなかったのでしょう。そのままぶつかっていったのです。私はそれに気づいて必死に制止しましたが、時遅し。私たち二人はそのまま車に突進したのでした。それから気がついたのは病院に担ぎ込まれる最中でした。手術を終え病室の中で痛みで一睡もできない中、考えたことは「何と命は儚いのか。もしぶつかり方が悪ければ、あれで一巻の終わり…」そう思うと、果たして人は死んだらそれで終わりなのか、との疑問が内から突き上げてくるのでした。

ある日のこと私の家族の命日に家に来られたお坊さんに思い切って尋ねてみました。「仏教では死後に極楽や地獄を言いますが、あれは本当ですか」お坊さんは答えました。「あれは方便じゃ」と。つまりこの世で悪いことをしていれば後の世でも悪いことがあるぞ、という一種の脅し?方便だと言われるのです。

一種の解放感のようなものを感じたのですが、次の瞬間また疑問が出てくるのです。「それなら有りもしない死後の世界の供養のために、どうしてお経など上げるのだろう?」当時18才の私には何か嘘めいたものを感じ、非常に失望したのを憶えています。

しかしある日、かの友人が「教会に行きたい」と突然言い出したのです。そこでボディガードのような気持ちで私は同行しました。その実私は自分の問いに答えを求めていたのです。教会の先生の話はまったく忘れましたが、話の後に私のために祈ってもらったことが私にさらに教会に行って聖書の話を知りたいという気持ちにさせたのです。次の日曜日から私は教会に通い始めました。そしてそこでイエス・キリストが十字架に架かり、三日目に死から甦られたことを知りました。少なくともこれを事実として弟子達は殉教を覚悟で宣べ伝えたのだということに感動を覚えました。それから半年経って、私はキリストを個人的に罪と死からの救い主として受け入れたのです。それから私の人生に死への恐れが消されていったのです。

「わたしは甦りです。命です。わたしを信じる者は、たとい、死んでも生きるのです」(イエス・キリスト)

あなたも死の恐れから解放されておられますか?  牧師 中 西 正 夫