2019年02月28日

第203回2019年3月のメッセージ 後藤献四郎伝道師音声で聴く。

「赦される喜び!」


多くの人は、罪悪感に悩まされています。過去に犯した罪や失敗に支配されてしまうのです。しかし、過去の過ちによって、未来を台無しにする必要はありません。神は私たちに新しい出発を用意しておられます。


先月、私は車を修理に出しました。数ヶ月前にぶつけてしまい、車体に傷がついてしまったためです。お店は代車を貸してくれました。その時、私は住所、氏名、連絡先を書いて提出しました。ところで、その代車は私の車より車高が低く、運転席ドアの下をうっかり傷つけてしまいました。傷を直すために代車を借りたのに、その車を傷つけてしまったのですあせあせ(飛び散る汗)


翌日、「車をご返却します」と連絡が来ました。お店に行くことを考えると、複雑な心境になりました。私がつけた代車の傷は(恥ずかしい話ですが)、見えない部分のため、黙っておけばバレません。しかし、それでは良心が痛みます。数万円請求されるかもしれません。


黙っておきたいと思いましたが、不正をしておきながら、神の祝福を受けられるとは思えませんでした。そこで「正直に言おう」と決心し、お祈りをしました。すると、不思議と心は平安になりました。とはいえ、お店に近づくとまた不安になり、もう一度祈りました。


車を返してもらった後、私は正直に打ち明けました。「実は、代車のドアを傷つけてしまいました。申し訳ありません。代金なら支払います。」すると、その店員は笑顔で答えました。「大丈夫ですよ。これは僕の車ですから。どうせ傷だらけですしね。」私は感動しました!何と、彼は快く赦してくれたのです。まさか、彼の車とは思いませんでした。修理代を請求されても文句は言えませんでした。別に傷ついた車でもありません。何という懐の大きさ!心がとても温かくなりましたにこにこ


この店員の対応は、正に神様の姿を表しています。あなたは神様に対してどんなイメージを持っていますか?聖書に、こんな言葉があります。「自分の背きの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者は憐れみを受ける。(箴言2813節)」


私は長年、神様を誤解していました。「すぐに怒る、恐ろしい方だ」と。しかし、実際は、それと真逆のお方です。恵みと憐れみに満ちておられます。キリストが来られたのは、私たちを裁くためではなく、私たちを救うためです。教会のてっぺんについている十字架は、愛と赦しのシンボルマークです。ぜひ、あなたにもこの喜びを知ってほしいと願っています。


伝道師 後藤献四郎

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2019年02月02日

第202回2月のメッセージ「成層圏はいつも晴れ」音声で聴く。

「どうしてこんな事で、くよくよするんだろう」なんて思うことはありませんか。

気にしなくていいと思うのに、心が引っ張られ、ついには暗く、落ち込んでしまう、そんな経験があるのではないでしょうか。


どしゃ降りの雨の日、空港から飛行機で出かけなければならないときがありました。

飛行機は真っ黒な厚い雨雲の中を揺れながらしばらく飛んでいましたが、やがてその中を突き切ってさらに高く上昇しますと、そこは全くの別世界!紺碧に輝く青空と輝く太陽の世界でした。雲の下、地上は雨。雲の上は青空の世界。あまりの違う世界に感動したのを憶えています。物の本によるともっと高い世界の成層圏はいつも晴れだそうです。


人生にもそれがあるように思います。一寸先が見えない私たちには、目の前のことしかわかりません。その現象を無視できませんが、憶えなければならないことは、事はそれだけで動いているのではないということです。あなたが見ている世界は事の真実の半分しか見えていないのです。聖書はこう言います。


「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです」(2コリント4:18)


すべてを支配し祝福して下さる神様がおられる。その神様が目の前の現象を超えて祝福された違う世界をあなたのために用意してくださっている、と聖書は言っています。ですから目の前の「どしゃ降り」の世界に支配されないようにしたいものです。

牧師 中 西 正 夫

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2019年01月04日

第201回1月のメッセージ「1年を最高のものとするために」後藤献四郎伝道師音声で聴く。

             「1年を最高のものとするために」


新年を迎えました。多くの人は、新しい年に期待し、「今年こそ幸せな年でありますように」と願います。しかし、いかがでしょう。数週間経てば、変わらない現実を知らされ、新年の願いも幻想と化し、「ああ、また今年も、今までと同じだ」と嘆くのです。なぜでしょうか?


それは、私たちが物事を判断する時、無意識のうちに「自分」を中心に据えているからではないでしょうか。「私は正しい」と考えてしまうので、物事が自分の願った通りに進まなくなると、イライラし、ストレスがたまるのです。


パウロは、聖書の中でこう言っています。「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神の御心は何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい(変えて頂きなさい、の意)。誰でも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神が各々に分け与えて下さった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。(ローマ122-3節)」


多くの場合、私たちは「自分が正しい」と考えているため、物事がうまくいかない原因を、他人や環境のせいにしてしまいます。しかし、他人や環境を責めている間は、残念ながら、事態が変わることはありません。これは、お互いに経験することではないでしょうか。


ここで、聖書に倣って「慎み深い考え方」をする必要があります。つまり、こういう事です。

「私は『自分が正しい』と思っているが、何を根拠に正しいと言えるのか?もしかすると、それは、ただの独りよがりで、間違っているのは自分ではないのか?」と。


多くの場合、最も変わらなければならないのは、「自分」であったりします。そして、自分が考え方を改める時、物事に対する視点も変えられ、行動も変わっていくのです。すると、事態が動きます。変わらないと思われた状況に変化が生まれ、多くの場合、好転するのです。


最後に、覚えておきたいことがあります。私たちは自分で自分を変えることはできません。パウロはそう語っています。それができるのは神だけなのです。まずは、「私は正しい」という拘りを見直し、これを捨てること。実は、これこそ、祝福への近道ではないでしょうか。


伝道師 後藤献四郎

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