2019年01月04日

第201回1月のメッセージ「1年を最高のものとするために」後藤献四郎伝道師音声で聴く。

             「1年を最高のものとするために」


新年を迎えました。多くの人は、新しい年に期待し、「今年こそ幸せな年でありますように」と願います。しかし、いかがでしょう。数週間経てば、変わらない現実を知らされ、新年の願いも幻想と化し、「ああ、また今年も、今までと同じだ」と嘆くのです。なぜでしょうか?


それは、私たちが物事を判断する時、無意識のうちに「自分」を中心に据えているからではないでしょうか。「私は正しい」と考えてしまうので、物事が自分の願った通りに進まなくなると、イライラし、ストレスがたまるのです。


パウロは、聖書の中でこう言っています。「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神の御心は何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい(変えて頂きなさい、の意)。誰でも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神が各々に分け与えて下さった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。(ローマ122-3節)」


多くの場合、私たちは「自分が正しい」と考えているため、物事がうまくいかない原因を、他人や環境のせいにしてしまいます。しかし、他人や環境を責めている間は、残念ながら、事態が変わることはありません。これは、お互いに経験することではないでしょうか。


ここで、聖書に倣って「慎み深い考え方」をする必要があります。つまり、こういう事です。

「私は『自分が正しい』と思っているが、何を根拠に正しいと言えるのか?もしかすると、それは、ただの独りよがりで、間違っているのは自分ではないのか?」と。


多くの場合、最も変わらなければならないのは、「自分」であったりします。そして、自分が考え方を改める時、物事に対する視点も変えられ、行動も変わっていくのです。すると、事態が動きます。変わらないと思われた状況に変化が生まれ、多くの場合、好転するのです。


最後に、覚えておきたいことがあります。私たちは自分で自分を変えることはできません。パウロはそう語っています。それができるのは神だけなのです。まずは、「私は正しい」という拘りを見直し、これを捨てること。実は、これこそ、祝福への近道ではないでしょうか。


伝道師 後藤献四郎

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2018年12月03日

第200回12月のメッセージ「それでも人生は変えられる」中西正夫牧師音声で聴く。

「それでも、人生は変えられる」


今まで多くの方から悩みをお聞きしてきました。相談者が「やはり私の性格に問題があるんですよね…性格って変えられますか」と溜息混じりで尋ねられます。それを聞いて私はこう答えます。「性格は神様がお造りになったものですから基本的に変わりません。でも人生は変わりますよ」と。


ここでクエスチョンです。以下の言葉は誰が言ったでしょう?

 @「31才になって私に望ましいのは死だけです」 

A「誰が惨めだと言って自分ほど惨めな人はいない」

 B「私ほど怒りっぽく僻み屋でひねくれた者はいない」


ことごとく暗い言葉ですね。答えは:

@は看護士の鏡と言われたナイチンゲール

Aは米国で最も尊敬された大統領、奴隷解放で有名なリンカーン

Bは前の五千円札の肖像、教育、国際関係功労者の新渡戸稲造


上記三人は自らの「暗い、短気な」性格に悩んでいた人たちです。でも大きな世界的貢献をした人たちでもあるのです。


どうしてそんな風に変えられるのでしょうか。ある人は、「彼らは特別で才能があったからだ」と言います。確かに能力があることは確かでしょうが、それは決定的なことではありません。それ以上に大切なことは、視点が変わる事です。つまり自分自身の性格や環境だけを見て溜息をついたり、時間で変わる他人の評価に一喜一憂する生き方から、自分の欠けや短所をさえ用いて祝福と変える造り主―全能者であり愛の神を見上げる視点を持つことなのです。それが祝福される人生に変えられるのです。


「私たちは見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます、見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くから」

(第Uコリント4:18)


今月はクリスマスが祝われる月です。あなたも一度教会で本当のクリスマスをお過ごしになりませんか。きっと神の祝福に満ちた人生を始められるでしょう。

牧師 中 西 正 夫

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2018年11月06日

第199回11月のメッセージ「作品が語るもの」後藤献四郎伝道師音声で聴く。

「作品が語るもの」


秋は、読書の秋、行楽の秋などと言われますが、何といっても“芸術の秋”です。私は先日、美術展に行ってきました。美しい絵を鑑賞していると、様々なことを考えさせられます。


さて、ここに絵があるとします。どんな絵でもよいのですが、例えばモナリザを思い出して下さい。Qこの絵はどのようにしてできたと思いますか? 2つの可能性が考えられます。


@     画家が描いた

A     勝手にできた(山の木に雨風があたり、ひとりでに色がつき、時間が経過して完成した)


街角でこの質問を尋ねたら、100人中100人全員が「Aはあり得ない」と答えるでしょう。

答えが@であることは、幼児でもわかります。しかし、また質問します。あなたは、@だと言われますが、では、あなたは、画家が実際に描いている現場を見たのですか?見ていないなら、どうして@だと言えるのですか?…@と考えるのが理にかなっているからでしょう。確かに、現場を見ていなくても、作品の背後にいる作者の存在は疑いの余地がありません。


では、海や山はどのようにしてできたのでしょうか?なぜ、四季があり、紅葉を楽しめるのでしょう?これらは全て私たち人間の作でないことは明らかです。とすれば、人間を超えた存在−神−によって造られたと考えるのが理にかなっていると思われませんか。


聖書はこう語っています。「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記11節)

聖書は、神がおられると明言しています。また、神は「わたしがこの世界を造り、あなたを創造した」と言われるのです。あなたは偶然に存在しているのではありません。あなたは、神の作品であり、神が意味と目的をもって、あなたを誕生させて下さったのです。


神はあなたの心の扉をたたいておられます。私たちがこの方を求めるなら、神は、私たちにご自分を現わして下さいます。ぜひ、聖書の中に、あなたの答えを探してみて下さい。聖書を通して、私たちは生きる意味と目的を明確に知ることができます。


伝道師 後藤献四郎

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