2018年08月01日

196回 2018年8月のメッセージ「心配事の的中率は1%」中西正夫牧師 音声で聴く。

8月メッセージ 「心配事の的中率は1%」

私達は誰もが「心配性」ではないかと思うのですが、あなたはいかがですか? 体のこと、仕事のこと、家庭のこと…次々と心配の種がでてきます。やっかいなのはその心配事が芋蔓式に次の心配をしてしまい、心と体に大変悪い状態を作るのです。勿論、誰も好きこのんで心配などしたくないわけですが、心配せずにはおれない現実です。 何とかできないでしょうか?しかし、フランスの思想家政治活動家モンテーニュという人がこう言っています。

「私の生涯は恐ろしい禍に満ち満ちたものに思われた。しかしその実際は起こらなかった。心配事の的中率は1%に過ぎなかった」(『随想録』)

正に経験者語る、の告白ですね。心に留めておきたいものです。それでも1%の心配事の的中率を心配するのが心配性の特徴です。そのために不安を抱くわけです。 しかし、どうでしょう。もし最悪の現実になったとしても、その最悪でさえへ祝福に変える御方がいるとしたら…それは正に朗報でしょう。そんなお方がいるのでしょうか。はい、おられるのです。私達を造り、万物を治めておられる愛と全能の神が聖書を通して次のように語られます。

「神は全てのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8:28)

人間の力では思い方をどうこうできるのにも限界がありますが、全ての創造者である愛の神が「万事を益に変える」と言われるのですから、これは心強いことなのです。 ぜひあなたも神を信じる人生を知り、心配性から解放されませんか?

牧師 中 西 正 夫
posted by kbcc-monthly at 10:18| Comment(0) | 今月のメッセージ

2018年07月03日

195回 2018年7月のメッセージ「目に入れても痛くない」伝道師 後藤献四郎. 音声で聴く。

「目に入れても痛くない」              伝道師 後藤献四郎.                


先月、私に第一子(男の子)が誕生しました。予定日より早く生まれましたが、私も出産の現場に立ち会うことができました。ついに“父”となりましたが、父になって初めて感じる事、経験することが沢山あります。


早速、毎晩夜泣きに悩まされています。妻と交代であやしますが、なかなか寝てくれません。忙しくなり、部屋も片付けられません。お金もかかりますし、大変疲れます。しかし、です。我が子の寝顔を見ると、とても癒されます。「守ってあげたい」という思いになるのです。


ところで、あなたをそのように見ている方がいる、と言ったら驚きますか。聖書によれば、私たちは偶然存在しているのではありません。神によってデザインされ、造られたのです。親が子どもを見守るように、神はあなたを心に留め、見ておられます。イエス・キリストは、この神を“父”と呼ばれました。神とは、得体の知れない、遠い存在ではありません。人格を持たれ、あなたに深い関心を持っておられるのです。私たちは、祈りを通して神と会話することができます。造り主である神を「お父ちゃん」と呼ぶことができるのです。


父というと、自分の父親を連想する人がいます。私の場合、父親が短気で、近づき難い存在だったので、神もそのような方かと長い間思っていました。しかし、聖書を通して、天の父は決してそのような方ではない。愛情深いというよりも、愛そのものであり、恵みと憐れみに満ちている方だと知って安心したのです。


現代では、多くの子どもたちが、親に愛されたい、認められたい、と必死になっています。しかし、私たちは、天の父に愛されるために努力する必要は全くありません。私の息子は、私に愛されるために良い行いに励む必要は全然ありません。ただ、呼吸をしているだけでもかわいいのです。また、それで十分なのです。聖書に、こんな言葉があります。


「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子を憐れまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない(イザヤ49:15)。」母親が我が子を忘れることなど決してありません。仮に、そのようなことがあったとしても、神だけはあなたを絶対に忘れないと言われるのです。そのような方がおられるということ、そしてあなたはこの方によって愛されていることを知って頂きたいのです。あなたに、神の祝福がありますように。

posted by kbcc-monthly at 20:51| Comment(0) | 今月のメッセージ

2018年06月08日

194回 2018年6月のメッセージ「おかしくはないか?」音声で聴く。

「おかしくないか?」


ハロルドフィケット博士の著書に「おかしくないか」という一文があります。

「おかしくないか。他の人がある事をするのに、長い時間をかけていると、アイツはのろいと言い、自分がしないと忙しいからと言う。他の人が言わない事を勝手にすると、出しゃばりと言い、自分が言わない事を勝手にすると、積極的だと言う。他の人がエチケットを破ると乱暴だと言い、自分の場合は個性的だと言う。他の人が上役に気に入るようなことをすると、ごますりと言い、自分の場合は協力的だと言う。他の人が昇進すると、アイツは運が良かったと言い、自分の場合は努力が報われたと言う。おかしいのではないか?」

一寸笑ってしまう話ですが、本当に自己中心的な考えが私たちに住み着いているのではないでしょうか。

算数の計算では100−1=99ですね。でも人の心の計算ではそうなりません。たとえば、ある人から100の親切を受けてきても、その人から一つの悪を受けてしまうと「あの人の本性がわかった。もうあの人とはお付き合いしない!」なんて事になりかねません。つまり100−1=0という1が巨大化した変な計算式が成り立ってしまうわけです。

しかもこれは自分が悪を受けた場合にそうであって、逆に自分が悪をした場合はまた本来の計算を要求するわけです。「あの人には何遍も良いことをしてあげたのに、たった一回の失敗を許さないなんて、あの人も心が狭い」となってしまうのではないでしょうか。


聖書は「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです」(マタイ7章1,2節)


しかしそんな自己中心的な計算をしやすい私達ですが、愛と真実の神さまは何と私達に恵みに満ちた計算をしてくださることでしょうか。人生で何度もおかしている罪深い心の思いと行いに対して、神の御子キリストを自分の罪からの救い主とただ信じ受け入れるだけで、その罪を帳消しにし、数々の恵みを満たしてくださるとは…ただ驚くばかりです。


あなたもこのキリストを心にお迎えになりませんか。

牧師 中 西 正 夫

posted by kbcc-monthly at 10:40| Comment(0) | 今月のメッセージ