2017年10月02日

186回2017年10月のメッセージ「人の限界は神の無限の時」音声で聴く。

リコーの創業者、市村清さんは「生きるは有限、生かされるは無限」と言われたようですが、聖書の世界も又似たところがあります。つまり人生の様々な限界を感じるとき私たちは失望落胆するのですが、その背後に神がおられて、今まで自分の力で生きてきた限界ある人生から、神の無限の力を体験することができる世界があるということなのです。

キリストの12弟子にペテロという漁師が出てきます。後にリーダーになるのですが、キリストに会うまでの彼は、信仰とか聖書とかには一向に心動かされず、信仰よりも魚一匹という生き方をしていました。そんな彼がどうしてキリストを救い主と信じて大きな働きをする人に変えられたかというと、これからお話しする出来事があったのです。

ある日徹夜の漁をしたにもかかわらず一匹の魚も捕れませんでした。以前にもそんな日があったと思われますが、その日はキリストがそば近くで大勢の人に素晴らしい説教をしておられたのに、聞かずに昨夜来の不漁の網を虚しく繕っていたほど失意にあったのです。そんな彼にお話を終えられたキリストは「もう一度舟をこぎ出してあそこに網を打ってご覧なさい。」と言われたのです。ペテロはムッとなったのです。「フン、根っからの漁師の俺様が徹夜で働いて魚一匹獲れなかったのに、大工の倅のアンタに何が解る!」そんな思いだったのです。キリストに赤っ恥をかかせたいと思ったのかも知れませんが「ま、いいでしょう。お言葉に従って網を下ろしてみましょうよ」そうして網を打ったところ、何と、今まで経験したことのない大漁!二艘の船が沈みそうなくらいの大漁だったのです。ペテロは自分の小ささ、貧しさ、無力をイヤという程知らされ、しかもキリストの無限の力を体験したのです。

あなたは今、人生の挫折を体験し、自分の知恵、経験を総動員して事に当たったにもかかわらず、自分の限界を知らされておられますか?もしそうなら、その時が「万事休す」ではなく、神様の無限の力の体験の機会であると知ってお求め下さい。心からお勧めいたします。     牧師 中 西 正 夫
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2017年09月01日

185回 2017年9月のメッセージ「どんなときも」

音声で聴くどんな状況でも


先日、私は夏風邪をひきました。喉を痛め、鼻もつまり、頭痛や吐き気に悩まされました。ところがある日、車を運転していた時、気がついたら風邪が治っていることに気づきました暫くの間、それを意識していなかったのですが、回復したこと心から嬉しく思いました


私たちは健康な時、それを当たり前のように感じて、何とも思っていないかもしれません。しかし、いざ体調を崩すと、健康がどんなに有難いものかということに気づかされ


改めて考えると、私たちはお互い、とても恵まれた環境の中で生かされています。しかし、忙しい日々を過ごしているとそれに気付かず、恵みを見落としてしまうのです時には、人と比較し、「あいつの方が恵まれている」と不満が出ることもあります病気になると必死に祈りますが、いざ治るとケロッとしているというか、感謝を忘れてしまうのです


ヨブという人物を紹介します彼は聖書によれば、神を信じる正しい人でした。また彼は、史上最も酷い苦しみを経験した人でもありますとても裕福でしたが、1日のうちに家族を失い、財産を奪われてしまっのです普通であれば気が動転し、不満をぶちまけるところですが彼はそうせず、こう言ったのです「私は裸で母の胎から出て来た。また裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ121節)


こんな大きな悲劇に見舞われても、彼が腐らなかったのは、次のことを知っていたからです

人は本来、何も持っていない存在だ。家族も財産も、持っているのが当たり前ではない。私が持っているものも全て与えられたに過ぎないのだ。私が一時的に管理していただけだ。


私たちも同じです。今、私たちが持っているものは自分の力で獲得したものではありません全てのものは、神が与えて下さったものなのです。自分で稼いだと思っている収入でさえ、仕事と健康を神が与えて下さったからこそ、得ることができたのです


そう考えると、健康1つをとっても感謝の思いが湧いてきます。当たり前ではありません

他にも恵みと言えるものは沢山あります。家族や与えられていること、学校に行けること、仕事ができること、食事ができること、危険な事故から守らていること等々です


視点が新しく変えられる時、私たちはどんな状況でも喜ぶことができ、満足することができます。ないものねだりをやめ、与えられているもの共に感謝しようではありませんか


伝道師 後藤献四郎

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2017年08月02日

第184回2017年8月のメッセージ「大自然の作者」


8月には休暇で自然に触れる方も多いだろうと思います。紺碧の青空やモクモクと沸き上がるような白い雲、どこまでも続く地平線、夜空に輝く満天の星々そして美しい花々…それらはストレスに囲まれた私達に、ひと時の癒しをもたらすオアシスのようです。

ところで幼い頃は、太陽も地球も月もはじめからあったように思っていたのですが、中学生になると、この宇宙が「一種の大爆発」によって存在したと教えられました。高校生になって私は聖書を知り、天地が単なる偶然ではなく、創造者である神の作によるものであることを知りました。でも当初はそれを読んでも、それが古代における一種の神話的表現ではないかと思ったものです。

ただ偶然にしては余りに見事な大自然であって、それを単なる「爆発」では到底、説明不可能という思いがあったのも事実です。

そんな頃、筑波大の遺伝子工学の権威村上和雄氏の論文を読み、「目から鱗」の感を抱きました。彼はこう書いています。

「細胞や遺伝子の中には人間業を越えた働きを見て感動した。少なくても人間の力とか業を越えた存在がなければ生き物は生まれないというのが実感である」

つまり現代の科学でさえ、大自然の作者を想定しているのです。そして聖書は力強く語ります。

「はじめに神が天と地を創造した」(創世記1章1節)

これが始まりです。この始まりを間違えては行けません。ちょうど服のボタンを掛け間違うと、途中は上手く行くようでも、最後には上手く行かないように、人生にも最初に認めなければならないことがあるように思われます。人間がはじめではなく、神がはじめなのです。この「はじめ」の主人公のすり替えが、現代の問題の原因であるように思われます。

どうぞあなたの命の創造者である神を受け入れて祝福された人生をスタートしていただきたいと願っています。

牧師 中西正夫



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