2018年12月03日

第200回12月のメッセージ「それでも人生は変えられる」中西正夫牧師音声で聴く。

「それでも、人生は変えられる」


今まで多くの方から悩みをお聞きしてきました。相談者が「やはり私の性格に問題があるんですよね…性格って変えられますか」と溜息混じりで尋ねられます。それを聞いて私はこう答えます。「性格は神様がお造りになったものですから基本的に変わりません。でも人生は変わりますよ」と。


ここでクエスチョンです。以下の言葉は誰が言ったでしょう?

 @「31才になって私に望ましいのは死だけです」 

A「誰が惨めだと言って自分ほど惨めな人はいない」

 B「私ほど怒りっぽく僻み屋でひねくれた者はいない」


ことごとく暗い言葉ですね。答えは:

@は看護士の鏡と言われたナイチンゲール

Aは米国で最も尊敬された大統領、奴隷解放で有名なリンカーン

Bは前の五千円札の肖像、教育、国際関係功労者の新渡戸稲造


上記三人は自らの「暗い、短気な」性格に悩んでいた人たちです。でも大きな世界的貢献をした人たちでもあるのです。


どうしてそんな風に変えられるのでしょうか。ある人は、「彼らは特別で才能があったからだ」と言います。確かに能力があることは確かでしょうが、それは決定的なことではありません。それ以上に大切なことは、視点が変わる事です。つまり自分自身の性格や環境だけを見て溜息をついたり、時間で変わる他人の評価に一喜一憂する生き方から、自分の欠けや短所をさえ用いて祝福と変える造り主―全能者であり愛の神を見上げる視点を持つことなのです。それが祝福される人生に変えられるのです。


「私たちは見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます、見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くから」

(第Uコリント4:18)


今月はクリスマスが祝われる月です。あなたも一度教会で本当のクリスマスをお過ごしになりませんか。きっと神の祝福に満ちた人生を始められるでしょう。

牧師 中 西 正 夫

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2018年11月06日

第199回11月のメッセージ「作品が語るもの」後藤献四郎伝道師音声で聴く。

「作品が語るもの」


秋は、読書の秋、行楽の秋などと言われますが、何といっても“芸術の秋”です。私は先日、美術展に行ってきました。美しい絵を鑑賞していると、様々なことを考えさせられます。


さて、ここに絵があるとします。どんな絵でもよいのですが、例えばモナリザを思い出して下さい。Qこの絵はどのようにしてできたと思いますか? 2つの可能性が考えられます。


@     画家が描いた

A     勝手にできた(山の木に雨風があたり、ひとりでに色がつき、時間が経過して完成した)


街角でこの質問を尋ねたら、100人中100人全員が「Aはあり得ない」と答えるでしょう。

答えが@であることは、幼児でもわかります。しかし、また質問します。あなたは、@だと言われますが、では、あなたは、画家が実際に描いている現場を見たのですか?見ていないなら、どうして@だと言えるのですか?…@と考えるのが理にかなっているからでしょう。確かに、現場を見ていなくても、作品の背後にいる作者の存在は疑いの余地がありません。


では、海や山はどのようにしてできたのでしょうか?なぜ、四季があり、紅葉を楽しめるのでしょう?これらは全て私たち人間の作でないことは明らかです。とすれば、人間を超えた存在−神−によって造られたと考えるのが理にかなっていると思われませんか。


聖書はこう語っています。「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記11節)

聖書は、神がおられると明言しています。また、神は「わたしがこの世界を造り、あなたを創造した」と言われるのです。あなたは偶然に存在しているのではありません。あなたは、神の作品であり、神が意味と目的をもって、あなたを誕生させて下さったのです。


神はあなたの心の扉をたたいておられます。私たちがこの方を求めるなら、神は、私たちにご自分を現わして下さいます。ぜひ、聖書の中に、あなたの答えを探してみて下さい。聖書を通して、私たちは生きる意味と目的を明確に知ることができます。


伝道師 後藤献四郎

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2018年10月08日

第198回10月のメッセージ「父に天国で会いたいから」中西正夫牧師 音声で聴く。

‘18.10月のメッセージ

父に天国で会いたいから


昨日、良き教会員のHさんが65歳の生涯を終えて召天されました。年前に膵臓癌が発見され、闘病の生活を続けて来られました。


でもその闘病生活を拝見して感じたのは、先ずご本人のキリスト教信仰から来る希望の確かさでした。

人によっては「どうして私が癌にならないといけないの!」と神さまに文句を言う人もいる中で、このHさんはこう言われました「この病気になって、私はキリストが開いて下さった救いの素晴らしさを改めて感謝しました。死に打ち勝って天国で生きるという永遠の世界があるとは嬉しい限りです」と。死は全てを奪い去る残酷なものです。仕事も家族も得てきたものも…。しかし先ほどの言葉を語られたHさんの目はうるんでいました。


それだけではなく、大学の教師をしておられる下の娘さんがある日、私にこう言われたのです「小さい時から教会に通ってきましたが、なかなかもう一歩進むことができないでいました。でも父の病気のことを通して天国で父に再び会えるために救いを私も得たいです。洗礼を受けたいと思いますが、これって不純な動機ですか?」私はこう答えました「もしお父さんの病気が治る為に洗礼を受けると言うなら、それは違うでしょうが、お父さん天国で会いたいというのは間違った動機では毛頭ないです」という事で、基本的なキリスト教講座の学びの後、信仰告白され8月26日に洗礼式を迎えたのです。感激の洗礼式でした。


聖書の言葉「神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益として下さる事を私たちは知っています」(ローマ8:28)


あなたには死に打ち勝つ希望がありますか?聖書を通してその希望をお知り頂きたいです。また教会にお出かけ下さい。心から御案内いたします。                   


牧師 中 西 正 夫

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