2019年08月02日

第208回 2019年8月のメッセージ「あなたという存在は神に起源がある」中西正夫牧師音声で聴く。

1900年代前半に活躍しキリスト教指導者に賀川豊彦という人がいました。教会だけではなく社会事業にもずいぶん活躍しました。消費者生活協同組合、略して「生協」これも彼が始めた活動でした。その小説死線を越えて」は新聞に連載されベストセラーにもなったほどです。思春期真っ暗闇中学生の時母親が夫婦喧嘩の腹いせもあってかとんでもないことを言われてしまいます「アンタは母さんの子じゃないよ。父さんが外で生ませた妾の子だよ」この言葉で彼は当時自殺を計ろうとさえするほどでした。「自分は愛されていない。自分はこの家に生まれてはけない人間だったんだ」

何がショックといって、自分の価値を見いだせず、生きる意味が分からなくなることほどショックはないでしょう。


今、多くの若い人が、自分の育った環境や親を受け入れられず又生きる価値を見いだすことができないで悩んでいます「自殺統計」中学生や高校生の自殺が多くなってきているのです。彼らは死にたくて自殺するのではなく、生きたいのに生きる意味がわからないといって死んでいくのです

これを聞いたり読んだりしてくださる人の中で、社会で無視されたり、虐待されたり、或いは何不自由なく暮らしていても、自分は何の価値もない、生きる意味が分からないと嘆いている人がいるでしょうか。そういう人がいたら、聖しいのです。

はあ高価はあている」

イザヤ43節)

聖書によれば、あなたという存在は世界でたったひとりのかけがえのない存在として、愛に満ちた全能の神によって造られたのです。はあをあす。にあ起源人生回復

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牧師 中 西 正 夫




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2019年07月01日

第207回 2019年7月のメッセージ「お金に勝る宝」後藤献四郎伝道師音声で聴く。

「お金に勝る宝」


幸せな人には、ある共通点があります。それは、彼らが「持っているものを喜んでいる」ということです。一方、不幸な人にも共通点があります。それは、いわゆる「ないものねだり」をしている人たちで、どれだけお金を持ち、恵まれていても、喜ぶことができないのです。


聖書の中に、生まれつき足の不自由な男性が登場します。当時、彼のようなハンディのある人は仕事に就けず、物乞いをするしかありませんでした。ペテロがヨハネと一緒に彼の前を通りかかった時、彼はいつもしているように、お金を求めました。しかし、2人から返ってきたのは、彼にとって予想外な言葉でした。


「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい(使徒36節)。」


「お金はもらえない」と分かった時、彼はがっかりしたでしょうか?いいえ!彼はペテロが持っているものに注目しました。そしてペテロが手を差し出すと、彼は招きに応じました。

するとその時、動かしたことのない足に、力が入るのを感じました。なんと、今まで一度も立ったことがないのに、歩いたり、飛び跳ねたりできるようになったのです!


お金は必要です。どうでもいいとは言いません。しかし、お金は使えばなくなります。お金では買えないものも沢山あります。一方、イエス・キリストの名前には限界がありません。この名前には、お金に勝る力があります。クリスチャンは、イエス様の名前によって、神に祈りをささげます。神は天地を創造し、支配しておられるお方です。私たちは、この名前を信じる信仰によって、お金では買うことのできないものを頂くことができるのです。


私は貧しい家庭で育ちましたが、自分が不幸だとは全然思いません。私の年齢で、私よりも恵まれた生活をしている人々は沢山います。しかし、彼らを見てうらやましいとは全く思いません。私には、お金に勝る宝(神との直通回線)が既に与えられているからです!


あなたは今、幸せですか?何を目指して毎日励んでいますか?有名人の様な生活を憧れる必要はありません。祝福への近道は、すぐ目の前にあるからです。神はいつでも、あなたを招いておられます。あなたは求めさえすれば、いつでも自分の意志で祝福を掴み取ることができます。これまで数えきれないほど多くの人々が、主イエスの名前によって、希望を得、幸福を手にしてきました。あなたにもぜひ、この特権を手に入れて頂きたいと思います。


伝道師 後藤献四郎

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2019年06月01日

第206回 2019年6月のメッセージ「最善と最高」中西正夫牧師音声で聴く。

「最善と最高」

 (19/6)


「明日を思い煩うな」とはキリストが二千年前に語られた言葉ですが、まるで現代に生きる人々の不安と心配を知り抜いておられるような言葉です。

もちろん誰も好きこのんで心配などしません。しかし心配せざるを得ない状況がそこにあるわけですね。


「明日を思い煩うな」と言われたキリストですが、そこにはこう付け足して言われたのです。「空の鳥を見るがよい。彼らは働きも種まきもしない。しかし神は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりはるかに優れた者ではないか。神はあなたがたにそれ以上良くして下さらない筈はない」と。この「良く」という意味は「最善」という意味なんですね。それを聞くとある方は「この環境で、このハンディで何が最善なのか」と不信感を持たれるかもしれません。しかし知っていただきたいのは、神が私達を導かれる人生は「最善」であって「最高」ではないのです。


聖書にでてくる苦難を受けた人物にヨセフやヨブが出てきます。彼らは身に覚えのない苦しみを受け、苦難の人生を長い間過ごすのですが、やがてその苦難を忘れることのできるような幸せな人生に導かれ、受けた苦難が役に立ち、人格の成熟に導かれるのです。それを思えば、確かに苦難を受けていたその時の人生は「最高」ではなかったでしょうが、後の幸せを考えると、やはりあの時は「最善」であったと思わされるのです。


「神はすべてのこと働かせて益としてくださることを私達は知っている」

(ローマ8:28)


今、厳しい状況の中にある方もおられるでしょう。ぜひあなたを造りあなたを愛し、あなたを最善に導かれる神を信じてお進みになりますようにお祈りしております。

牧師 中 西 正 夫

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