2017年11月01日

187回2017年11月のメッセージ「心配しなくても大丈夫」音声で聴く。

「心配しなくても大丈夫」

「先行きが見えない」という声がよく聞かれます。日本では、80%の人々が、将来のことを考えると不安なのだそうです。「病気にかからないか?」「年金はきちんともらえるのか?」「危険な事が起こるのでは?」と、様々な心配があります。どうすればいいのでしょうか?

クリーニングの白洋舎の創業者、五十嵐健治さんは、水を使わない”ドライクリーニング”を日本で最初に考案した人です。研究室に立てこもり、クリーニングの実験を繰り返しますが、採算が合わず、うまくいきませんでした。多額の資金を研究に費やしましたが、健康も損い、財政は大赤字。請求書に囲まれて年の瀬を迎えることになったのです。

そんな時、妻に勧められ、一緒に聖書を読むことになりました。彼女が示してくれたのは、キリストが山の上で人々に語られた以下の言葉でした。

「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものは全て与えられます。だから、明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に十分あります。(マタイ6章33〜34節)」

「この2ヶ月、朝から晩まで考えている事といえば、ドライクリーニングばかりだったな。」彼はクリスチャンでしたが、神様に祈るよりドライクリーニングに心を寄せる方が遥かに多かったということに気づきました。そして妻に言うのです。「ありがとう。私は間違っていた。神様を最優先にしなければいけなかったね。すると、全ての必要なものは与えられるのだね。」そこで、妻と一緒に感謝の祈りをささげると、不思議と心は平安に包まれました。

それから2人は、出資してくれた人々を訪ねて回りました。事情を説明し、謝罪しながら、僅かなお金を持って訪問したのです。叱られる覚悟でしたが、実際はその逆でした。誰一人怒ることもなく、むしろ人々は温かい言葉をかけてくれました。そして2人は晴れやかな気持ちで新年を迎えられたのです。このような時期を経て、現在の発展へと導かれたのです。

「明日のことを心配するな」と言われても、心配するのが私たちです。しかし聖書は、神が私たちの必要を何もかもご存知であり、私たちが神を信じて、求めさえするならば、生活の必要は必ず満たされる、と約束しています。神はあなたの生活にも目を留めておられます。あなたとあなたの生活の上にも、神の恵みと祝福がありますように!


伝道師 後藤献四郎
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2017年10月02日

186回2017年10月のメッセージ「人の限界は神の無限の時」音声で聴く。

リコーの創業者、市村清さんは「生きるは有限、生かされるは無限」と言われたようですが、聖書の世界も又似たところがあります。つまり人生の様々な限界を感じるとき私たちは失望落胆するのですが、その背後に神がおられて、今まで自分の力で生きてきた限界ある人生から、神の無限の力を体験することができる世界があるということなのです。

キリストの12弟子にペテロという漁師が出てきます。後にリーダーになるのですが、キリストに会うまでの彼は、信仰とか聖書とかには一向に心動かされず、信仰よりも魚一匹という生き方をしていました。そんな彼がどうしてキリストを救い主と信じて大きな働きをする人に変えられたかというと、これからお話しする出来事があったのです。

ある日徹夜の漁をしたにもかかわらず一匹の魚も捕れませんでした。以前にもそんな日があったと思われますが、その日はキリストがそば近くで大勢の人に素晴らしい説教をしておられたのに、聞かずに昨夜来の不漁の網を虚しく繕っていたほど失意にあったのです。そんな彼にお話を終えられたキリストは「もう一度舟をこぎ出してあそこに網を打ってご覧なさい。」と言われたのです。ペテロはムッとなったのです。「フン、根っからの漁師の俺様が徹夜で働いて魚一匹獲れなかったのに、大工の倅のアンタに何が解る!」そんな思いだったのです。キリストに赤っ恥をかかせたいと思ったのかも知れませんが「ま、いいでしょう。お言葉に従って網を下ろしてみましょうよ」そうして網を打ったところ、何と、今まで経験したことのない大漁!二艘の船が沈みそうなくらいの大漁だったのです。ペテロは自分の小ささ、貧しさ、無力をイヤという程知らされ、しかもキリストの無限の力を体験したのです。

あなたは今、人生の挫折を体験し、自分の知恵、経験を総動員して事に当たったにもかかわらず、自分の限界を知らされておられますか?もしそうなら、その時が「万事休す」ではなく、神様の無限の力の体験の機会であると知ってお求め下さい。心からお勧めいたします。     牧師 中 西 正 夫
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2017年09月01日

185回 2017年9月のメッセージ「どんなときも」

音声で聴くどんな状況でも


先日、私は夏風邪をひきました。喉を痛め、鼻もつまり、頭痛や吐き気に悩まされました。ところがある日、車を運転していた時、気がついたら風邪が治っていることに気づきました暫くの間、それを意識していなかったのですが、回復したこと心から嬉しく思いました


私たちは健康な時、それを当たり前のように感じて、何とも思っていないかもしれません。しかし、いざ体調を崩すと、健康がどんなに有難いものかということに気づかされ


改めて考えると、私たちはお互い、とても恵まれた環境の中で生かされています。しかし、忙しい日々を過ごしているとそれに気付かず、恵みを見落としてしまうのです時には、人と比較し、「あいつの方が恵まれている」と不満が出ることもあります病気になると必死に祈りますが、いざ治るとケロッとしているというか、感謝を忘れてしまうのです


ヨブという人物を紹介します彼は聖書によれば、神を信じる正しい人でした。また彼は、史上最も酷い苦しみを経験した人でもありますとても裕福でしたが、1日のうちに家族を失い、財産を奪われてしまっのです普通であれば気が動転し、不満をぶちまけるところですが彼はそうせず、こう言ったのです「私は裸で母の胎から出て来た。また裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ121節)


こんな大きな悲劇に見舞われても、彼が腐らなかったのは、次のことを知っていたからです

人は本来、何も持っていない存在だ。家族も財産も、持っているのが当たり前ではない。私が持っているものも全て与えられたに過ぎないのだ。私が一時的に管理していただけだ。


私たちも同じです。今、私たちが持っているものは自分の力で獲得したものではありません全てのものは、神が与えて下さったものなのです。自分で稼いだと思っている収入でさえ、仕事と健康を神が与えて下さったからこそ、得ることができたのです


そう考えると、健康1つをとっても感謝の思いが湧いてきます。当たり前ではありません

他にも恵みと言えるものは沢山あります。家族や与えられていること、学校に行けること、仕事ができること、食事ができること、危険な事故から守らていること等々です


視点が新しく変えられる時、私たちはどんな状況でも喜ぶことができ、満足することができます。ないものねだりをやめ、与えられているもの共に感謝しようではありませんか


伝道師 後藤献四郎

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