2017年09月01日

185回 2017年9月のメッセージ「どんなときも」

音声で聴くどんな状況でも


先日、私は夏風邪をひきました。喉を痛め、鼻もつまり、頭痛や吐き気に悩まされました。ところがある日、車を運転していた時、気がついたら風邪が治っていることに気づきました暫くの間、それを意識していなかったのですが、回復したこと心から嬉しく思いました


私たちは健康な時、それを当たり前のように感じて、何とも思っていないかもしれません。しかし、いざ体調を崩すと、健康がどんなに有難いものかということに気づかされ


改めて考えると、私たちはお互い、とても恵まれた環境の中で生かされています。しかし、忙しい日々を過ごしているとそれに気付かず、恵みを見落としてしまうのです時には、人と比較し、「あいつの方が恵まれている」と不満が出ることもあります病気になると必死に祈りますが、いざ治るとケロッとしているというか、感謝を忘れてしまうのです


ヨブという人物を紹介します彼は聖書によれば、神を信じる正しい人でした。また彼は、史上最も酷い苦しみを経験した人でもありますとても裕福でしたが、1日のうちに家族を失い、財産を奪われてしまっのです普通であれば気が動転し、不満をぶちまけるところですが彼はそうせず、こう言ったのです「私は裸で母の胎から出て来た。また裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ121節)


こんな大きな悲劇に見舞われても、彼が腐らなかったのは、次のことを知っていたからです

人は本来、何も持っていない存在だ。家族も財産も、持っているのが当たり前ではない。私が持っているものも全て与えられたに過ぎないのだ。私が一時的に管理していただけだ。


私たちも同じです。今、私たちが持っているものは自分の力で獲得したものではありません全てのものは、神が与えて下さったものなのです。自分で稼いだと思っている収入でさえ、仕事と健康を神が与えて下さったからこそ、得ることができたのです


そう考えると、健康1つをとっても感謝の思いが湧いてきます。当たり前ではありません

他にも恵みと言えるものは沢山あります。家族や与えられていること、学校に行けること、仕事ができること、食事ができること、危険な事故から守らていること等々です


視点が新しく変えられる時、私たちはどんな状況でも喜ぶことができ、満足することができます。ないものねだりをやめ、与えられているもの共に感謝しようではありませんか


伝道師 後藤献四郎

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2017年08月02日

第184回2017年8月のメッセージ「大自然の作者」


8月には休暇で自然に触れる方も多いだろうと思います。紺碧の青空やモクモクと沸き上がるような白い雲、どこまでも続く地平線、夜空に輝く満天の星々そして美しい花々…それらはストレスに囲まれた私達に、ひと時の癒しをもたらすオアシスのようです。

ところで幼い頃は、太陽も地球も月もはじめからあったように思っていたのですが、中学生になると、この宇宙が「一種の大爆発」によって存在したと教えられました。高校生になって私は聖書を知り、天地が単なる偶然ではなく、創造者である神の作によるものであることを知りました。でも当初はそれを読んでも、それが古代における一種の神話的表現ではないかと思ったものです。

ただ偶然にしては余りに見事な大自然であって、それを単なる「爆発」では到底、説明不可能という思いがあったのも事実です。

そんな頃、筑波大の遺伝子工学の権威村上和雄氏の論文を読み、「目から鱗」の感を抱きました。彼はこう書いています。

「細胞や遺伝子の中には人間業を越えた働きを見て感動した。少なくても人間の力とか業を越えた存在がなければ生き物は生まれないというのが実感である」

つまり現代の科学でさえ、大自然の作者を想定しているのです。そして聖書は力強く語ります。

「はじめに神が天と地を創造した」(創世記1章1節)

これが始まりです。この始まりを間違えては行けません。ちょうど服のボタンを掛け間違うと、途中は上手く行くようでも、最後には上手く行かないように、人生にも最初に認めなければならないことがあるように思われます。人間がはじめではなく、神がはじめなのです。この「はじめ」の主人公のすり替えが、現代の問題の原因であるように思われます。

どうぞあなたの命の創造者である神を受け入れて祝福された人生をスタートしていただきたいと願っています。

牧師 中西正夫



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2017年07月05日

第183回 2017年7月のメッセージ「見つかるまで捜す人は」

しばらく前のことですが、妻が鍵を失くして職場から帰宅しまし。自宅の鍵だけでなく、他の大事な鍵も幾つか失くしたため、私も一緒に探しに出かけました。歩いた道を隅々まで調べ、駅のプラットフォームや階段を探しましたが、見つかりません。すると、また問題が起こりました。今度は職場に戻る途中で、電車の回数券まで失くしてしまいました。探しに出かけたことによって、落とし物がさらに増えてしまったのです。


しかし、私たちは探すのを諦めませんでした。幸い、苦労した甲斐もあり、鍵は職場で無事見つかりました。あとは回数券です。一度失うと、もう一度、支払いをしなければならないため、必死に探しました。感謝なことに、誰かが駅員に届けてくれたことが分かり、後日、終点の駅に取りに行くことになりました。本当に焦りましたが、2つとも帰ってきたのです。


聖書に「求めなさい。そうすれば、与えられます。捜しなさい。そうすれば、見つかります。叩きなさい。そうすれば、開かれます」という有名な言葉があります(マタイ77節)

「誰であれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、叩く者には開かれ()というのです。

これはキリストの言葉ですが、あなたも、一度は聞かれたことがあるのではないでしょうか私もこの言葉に励まされ、求め続けた結果、実際に与えられたという経験何度あります。


こういう話をすると、「本当にそうかな」と言われる方もおられるかと思います。確かに、現実には、簡単には手に入らないものというのもあると思います。しかし、聖書は言います。

「求め続けなさい。捜し続けなさい。叩き続けなさい。」どうしても、手に入れたいなら、熱心に継続して、求めていく必要があるというのです。多くの場合、私たちは何かを手に入れる前に諦めてしまうことがあるのではないでしょうか。


神様は良いお方です。私たちに良い物を拒まれることはありません。私たちに必要なものであれば、それは必ず与えられます。あなたの上に、神様の祝福が豊かにありますように!



伝道師 後藤献四郎

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