2017年06月02日

第182回2017年6月のメッセージ「へその緒とベビーシューズ」

音声で聞く


「へその緒とベビーシューズ」

17年6月メッセージ)


以前、私達の教会に米国から短期英会話宣教師をお迎えしたことがありました。4人の子供さんをりっぱに育て上げたお母さんでしたが、ある時、婦人会で「自分の子供の小さかったときの記念に何を持っていますか」ということが話題になりました。日本のお母さん達は桐の箱に入っている「へその緒」と口々に答えました。アメリカでは?と尋ねられたその宣教師は「ベビーシューズ」と答えました。親と子の絆を結ぶ「へその緒」と、親からの独立の第一歩を表す「ベビーシューズ」…随分考え方が違うものだと驚かされたものです。

親と子の絆を大切にするというのはとても素晴らしいことですが、その日本で昨今「へその緒」に象徴される親と子の絆が破壊されるような事件が頻繁に起こっています。

「命の重さ」が問われているのです。聖書によれば、命の作者は親ではなく万物の創造者である神なのです。聖書にこうあります。

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えられたのです」(エペソ2:10)

あなたは「神の作品」なのです。しかも造られた目的があります。それは「良い行い」をするためです。あなたはユニークな世界でただひとりの存在として神によって造られ、「良い行い」を果たす使命を与えられた存在なのです。しかもそれは「あらかじめ備えられている行い」なのです。あなたでなければ果たし得ないその行いを知るために聖書をお知りになりませんか。ぜひ教会にお出かけください。祝福があなたにありますように。                          牧師 中 西 正 夫

posted by kbcc-monthly at 12:19| Comment(0) | 今月のメッセージ

2017年05月02日

第181回2017年5月のメッセージ「愛されるより、愛すること」


              「愛されるより、愛すること」


昨年から、田中角栄氏がブームになっています。日本が生んだ天才、リーダーシップの神とまで呼ばれています。私は角栄氏が現役の時代を知らないため、書店で本を購入し、読んでみました。様々なことを教えられ、感銘を受けましたが、私の心を特に打ったのは、「弱い人の立場に立って、その人のしてほしいことをする」という内容の部分でした。


首相まで経験した人物ですが、悲しむ人にはそっと寄り添い、葬儀には真っ先に駆けつける人柄が、人々に愛された理由というのです。普通の弔問客がするだけの事で終わらず、そこからさらに踏み込んで立ち回り、遺族を具体的に助けていく。これが人々の心を掴みました。

後に失脚し、首相の座を退きましたが、大変人情の厚い人物として、今も尊敬されています。


ところで私は、角栄氏の本を読みながら、“ある人”について思い出さずにはいられませんでした。その方とは、イエス・キリストです。聖書によれば、イエス様は聖人の1人や特定の分野における神のような存在ではなく、人類の救い主であり、神の子そのものです。


イエス様は12弟子の足を洗われ、孤独な者の友となられ、友人の死に涙を流されました。

蔑まれた人々と一緒に食事をし、彼らを擁護し、彼らと過ごす時間を惜しまれませんでした。病人や障害を持つ人々に心を砕かれ、伝染病を持つ人々にも、直接触れて病を癒されました。


パウロはこう語っています。「神は罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです(Uコリント521節)。」

イエス様は罪を犯したことがないにも関わらず、十字架にかかられ、私たちの代わりに罪の裁きを受けて下さいました。それは、この方を信じる人が罪の裁きを免れ、永遠のいのちを得るためであるということなのです。


イエス様は、愛を語られただけでなく、文字通り命を捨てられ、愛を示して下さいました。

例え、あなたがこの方に対して関心がないとしても、「私とは関係ない」と退けたとしても、イエス様のあなたに対する愛は、決して変わることがありません。


あなたは、神の子が命を捨てられるほど価値のある存在なのです。これまで2,000年の間、数えきれない人々がキリストを通して、生きる力を見出し、人生を持ち直し、癒しと回復を体験してこられました。あなたにも、この方の真実の愛をぜひ知って頂きたいと思います。


伝道師 後藤献四郎

posted by kbcc-monthly at 13:53| Comment(0) | 今月のメッセージ

2017年04月06日

第180回2017年4月のメッセージ「死を生に変えるもの」


死を生に変えるもの

’17/4月イースターメッセージ


人生で最大の不安と恐れは何と言っても死ぬという事だろうと思います。

「吾輩は猫である」という小説で有名な明治の文豪夏目漱石は48歳のとき娘さんを失っているのですが、日記にこう書いています。

「昨日は通夜、今日は葬式、するとすれば明日骨上げ…多忙である。しかし全ての努力をしたのちで考えると全てが無益の努力である。死を生に変えるのでなければ全ては無益である。こんな遺恨な事はない」


名のある小説家という肩書ではなくひとりの父親としての心境がこちらにも切々と伝わってきて多くの人が共感する心境だと思うのです。死は全ての希望をなくさせるものです。しかしここに素晴らしい希望を語る一冊の本があります。聖書です。聖書を見るとこの「死を生に変えるもの」を見事に実現したイエス・キリストという方を語っています。キリストはこう語っておられます。

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです」(ヨハネ11:25

この言葉は単なる気休めの言葉ではありません。この言葉をキリストが語られたのはラザロという青年が病で死に、死後四日も経っている数日続いた葬儀の中での言葉なのです。そして実際キリストは、ラザロをよみがえらされたと聖書は淡々と描いています。もしその話が偽りならとっくの昔に当時葬儀に出席していた人たちから非難され抹殺されてしまっていたでしょう。この奇跡が本当であればこそ今日にも象徴ではなく事実として伝えられている訳です。


私は牧師としてこの40年の間多くの方の臨終に立ち会ってきましたが、死の時に永遠の命への希望を持っているかどうかは、実に大きな違いをもたらします。あなたも教会に行かれて「死に打ち勝たせるもの」を是非お知りくださり、平安な人生を得て頂きたいとお勧めいたします。

牧師 中西正夫

posted by kbcc-monthly at 20:58| Comment(0) | 今月のメッセージ