2016年10月01日

第165回 10月のメッセージ あなたという存在は神に起源がある


1900年代前半に活躍したキリスト教指導者に賀川豊彦という人がいました。教会だけではなく社会事業にもずいぶん活躍しました。消費者生活協同組合、略して「生協」、これも彼が始めた活動でした。その小説「死線を越えて」は新聞にも連載されベストセラーにもなったほどです。ところが彼は中学生の時母親が夫婦喧嘩の腹いせもあってかとんでもないことを言われてしまいます。「アンタは母さんの子じゃないよ。父さんが外で生ませた妾の子だよ」この言葉で彼は当時自殺を計ろうとさえするほどでした。「自分は愛されていない。自分はこの家に生まれてはいけない人間だったんだ」
何がショックといって、自分の価値を見いだせず、生きる意味が分からなくなることほどショックはないでしょう。
今、多くの若い人が、自分の育った環境や親を受け入れられず又生きる価値を見いだすことができないで悩んでいます。しかも中学生や高校生の自殺が多くなってきているのです。彼らは死にたくて自殺するのではなく、生きたいのに生きる意味がわからないといって死んでいくのです。
これを聞いたり読んだりしてくださる人の中で、社会で無視されたり、虐待されたり、或いは何不自由なく暮らしていても、自分は何の価値もない、生きる意味が分からないと嘆いている人がいるでしょうか。そういう人がいたら、聖書のこの言葉を聞いて欲しいのです。
「私達は神の作品であって、良い行いをするためにキリストイエスにあって造られたのです」(エペソ2章10節)
聖書によれば、あなたという存在は世界でたったひとりのかけがえのない存在として、愛に満ちた全能の神によって造られたのです。あなたという存在は神に起源があるのです。しかも生きる目的があります。「良い行いをするために造られた」とあるようにあなたにしかできない良い行いをするためにあなたは地上に生まれてきたのです。
是非あなたを造られた神様を知っていただきたいと願っています。

牧師 中西正夫

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2016年09月01日

第164回 9月のメッセージ あなたは世界の光



この夏、神奈川で恐ろしい事件が起こりました。障碍者施設で19人の命が奪われたのです。犠牲者のことを思うと、大変心が痛みます。遺族の方々に、深い慰めと平安を祈ります。


事件の後、糸賀一雄氏の働きが改めて注目されています。彼は「社会福祉の父」と呼ばれ、日本で障碍者支援に取り組んだ第一人者です。彼は仲間と共に近江学園を設立しましたが、生前に掲げていた言葉は、今も引き継がれています。「この子らを世の光に」です。


「この子らに世の光を(障碍者を憐れんでやってほしい)」と言っているのではありません。「この子らを世の光に」です。それはこのような意味だそうです。「誰もが皆、個性(その人独特の輝き)を持つ。1人1人はかけがえのない存在だ。この子たちの個性を受け止め、それを輝かせていこう。1人1人が世の光となる、素晴らしい社会を目指して。」


あなたは誰かの言葉に傷つけられ、自信をなくしたことはありませんか。人に冷たく扱われ、悲しい思いをしたことはないでしょうか。聖書は、あなたを「神の作品」と語っています。神は、あなたを含む全ての人をご自分のかたちに造られた。故に失敗作はないと言うのです。「誰があなたを否定したとしても、あなたに何らかのハンディキャップがあったとしても、あなたはそのままで素晴らしい。神があなたを良しとされたから。」聖書はそう語ります。


この事が分かると、あなたは自信を取り戻すことができます。弱さも含めた自分をまるごと受け入れることができ、自分のことが好きになれるのです。あなたも、あなたを造られた神をお知りになりませんか。神はあなたを、あるがままで愛しておられます。


糸賀氏はクリスチャンですが、彼の活躍の背景には聖書が深く影響しています。キリストは、こう言われました。「あなたがたは世界の光です。」(マタイ5章14節)「あなたがたは世界の光になりなさい」と言われたのではありません。「あなたがたは、既にこの世界にあって光の存在である。その光を輝かせなさい。光を隠してはいけない」と言われたのです。


夜空の月は太陽の光を受けて輝いています。あなたも、あなたを造られた神から光を受ける時、輝きを放つことができるのです。現代では、暗いニュースが後を絶ちません。しかし、社会が暗ければ暗いほど、あなたの光は一層輝きます。あなたの光は周囲の人々を照らし、希望を与えることができるのです。

伝道師 後藤献四郎

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2016年08月01日

第163回 8月のメッセージ 魂の帰郷は済みましたか?


八月は休暇をもらって故郷に帰る家族も多いことでしょう。


「ふるさとの山に向かいて言うことなし。ふるさとの山はありがたきかな」


これは石川啄木の歌ですが、文句なく「そうだなあ」と実感される方も多いのではないでしょうか。気ぜわしい「日常」から解放されて、何の気かげなく、のんびりと過ごせる故郷は、まさに解放の安らぎでしょう。新幹線で故郷に帰る人々でギュウギュウ詰めになっても我慢できるのは、帰る故郷を思えばこそでしょう。それほど気兼ねしなくてもよい解放感はありがたいものなのだと思います。



ところで、聖書にも「魂の帰郷」について記されているのをご存知ですか?


「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり、監督者である方のもとに帰ったのです」


(第1ペテロ2章25節)



聖書によれば、人間は元々命の創造者である神様によって造られた存在なのです。それにもかかわらず、人は創造者である神様から離れて羊のようにさまよっている、と語っています。人が生きる意味も目的も定まらず、不安、焦り、緊張の中で生きているのは、創造者である神様から離れているからだというのです。ですから、なすべきことは「魂の牧者である神様のところに帰ること」だと教えています。


その道を開いてくださった方が神の御子キリストなのです。


キリストはこう言っておられます。


「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」


(ヨハネ14章6節)



ちょうど故郷に帰る時、束縛から解放され、安らぎを与えられるように、あなたに「魂の帰郷」があればどんなに幸いでしょう。八月の帰郷はせいぜい数日でしかありません。しかし魂の帰郷はキリストをとおして神様に立ち返った時から永遠なのです。あなたもそれを経験されませんか。 


お祈りしています。                牧師 中 西 正 夫
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